これで彼氏・彼女とレッドクリフを見に行ける!
レッドクリフを見るための

すぐわかる!三国志あらすじ

これはレッドクリフを見る時のためのあらすじです。
で書いてあるところはレッドクリフ的に知的ポイントが高いので、暗記してさりげなく彼氏や彼女にアピールしましょう!

約1800年前の中国、当時は「漢(かん)帝国」ですがそこに、曹操(そうそう)と劉備(りゅうび)という人が生まれました。曹操のお祖父さんは宦官(かんがん)といって漢王室に仕える人でした。一方劉備は当時の皇帝と同じ「劉」姓ですが、貧乏な家に育ちました。
曹操は大人になってから都である洛陽の警備主任のような仕事につき、それからちょっとずつ出世していきます。劉備は地元のタク県でムシロ(ゴザみたいなやつ)やワラジを織って売りながら、ちょっと任侠みたいなことをしていたので仲間で義兄弟の関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)と縄張りを広げていました。

そんな時、 黄巾の乱(こうきんのらん)が起きます。黄巾の乱とは、張角(ちょうかく)が興した新興宗教「太平道(たいへいどう)」の皆さんが起こした暴動です。革命じゃ〜!というわけで、漢王室を滅ぼそうとしたので、官職の曹操や出世したかった劉備はこの乱を治めようと戦います。おかげで太平道は壊滅。しかしなんとなく漢という国はもう基盤がグラグラしていることが発覚します。

グラグラしてるものを支配してしまおう、と考えたのは一応漢王室に仕えている董卓(とうたく)です。そんな時グラグラな漢王室の皇帝が死んでしまいました。跡取り問題で揉めて暗殺やら暴動計画やら跡取りの誘拐があった時、誘拐された跡取り二人を奪ったのが董卓です。
董卓は跡取りを皇后に返して取り入って、勝手に次の皇帝を決めてしまいました。それからの董卓は暴虐を極め、反董卓連合(曹操も劉備も加わっています)が出来るほど。しかし連合軍は何度戦っても勝てず、最終的には董卓の養子になっていた呂布(りょふ)が裏切って殺してしまいます。

おかげでどうにか落ち着いた漢王室と皇帝を、今度は曹操が抜け駆けをして庇護する形になりました。曹操は漢王室をきちんと守り、奉戴(ほうたい)しているので問題はありませんが、それを面白く思わない人がいました。袁紹(えんしょう)といって曹操の幼馴染でライバルです。
劉備は最初、曹操と同盟を組んでいましたが、周りにそそのかされて曹操を暗殺しようとして失敗して逃げ、袁紹と同盟を組みました。曹操VS袁紹の戦いになり、勢力の大きな袁紹の勝ちと思われていたのですが、最後は知略で曹操が勝ちました。(これを官渡の戦いといいます)

袁紹が負けてしまったので劉備はまた逃げるしかありません。今度は劉表(りゅうひょう)のところに逃げて同盟を組み、7年間もお世話になりました。ここで巷で噂の軍師・諸葛亮孔明(しょかつりょう・こうめい)と出会い、自分の軍師になってくれと3回お願いに行き(三顧の礼・さんこのれいと言います)見事に「臥龍」と呼ばれる天才を味方にしました。

一方その頃、中国の右下あたり(江東といいます)を支配していたのが孫権(そんけん)です。孫権は孫堅(そんけん)というお父さんの次男で、孫策(そんさく)というお兄さんがいました。二人とも以前の戦で死んでしまうのですが、この二人はとても強くて有名でした。さらに孫策の親友で孫堅パパの部下でもあった天才武将・周瑜(しゅうゆ)旧臣・黄蓋(こうがい)を引き継いで、江東を支配していました。レッドクリフに出てくる小喬は周瑜の妻で、小喬のお姉さんの大喬は孫策の未亡人です。

ある日、劉備がお世話になっていた 劉表が病気で死んでしまいます。跡取りの息子はお父さんが死んだとなるともう曹操と対決しても勝てないと思い、降伏することに決めました。でも自分は曹操に降伏だけは絶対にしないと決めた劉備は、仲間を連れて劉表の土地であったところから出ようと放浪することに。ですが劉備は自分で思っていたよりも民衆からの信頼が大きかったので、いきなり5万人という大人数での大移動が始まってしまいました。
劉表の息子からの降伏を受け入れた曹操は、部下の将軍たちに劉備軍とその民衆を追撃しろと命令します。
追いかけてくる曹操の軍を民衆の列の最後尾で迎え撃つのが劉備の義弟の張飛。そして崩れてきた劉備の列を曹操軍が攻撃した際に、劉備の妻子が取り残されてしまいました。それを救おうと単身で助けに行ったのが劉備の信頼の厚い猛将・趙雲(ちょううん)です。これを「長阪(ちょうはん)の戦い」と言って、赤壁(せきへき)の戦いの序章になる部分です。

 

ここまでがレッドクリフパート1以前のおおまかな出来事です。
おおまかすぎて自分でもどうかと思いますが、三国志のあらすじだけで本が一冊、
講義すると丸一晩かかりますのでこの程度でおさえておきます。

レッドクリフは直訳すると「赤い崖」ですが、三国志の中では「赤壁」(せきへき)という
地名が出てきます。ここで起きた戦いを「赤壁の戦い」と言います。
この戦いの最中に崖が
炎を反射して赤く染まったことから、周瑜が名付けた地名と言われています。

もうちょっと詳しく知りたい人は連載あらすじをどうぞ

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