簡単な年表

この年表は後漢から始まります。
漢とは高祖劉邦が皇帝になってからの劉氏が皇帝になっている国の名前です。
『後半の漢の国』が『後漢』です。年号は「昭和」や「平成」みたいなものです。

西暦
年号
主な出来事
解説
155 永寿 曹操誕生 夏侯惇の方が年上という話もあります
157   孫堅誕生 孫堅は茶髪で青い目だったそうな
161 延熹 劉備誕生  
168 建寧 霊帝(劉宏)が12歳で即位 「霊帝」は諡(おくりな)で死後つけられます
175 熹平 孫策、周瑜誕生  
181 光和 諸葛亮誕生 諸葛亮と劉備は20歳違います
182   孫権誕生  
184 中平 ・張角が黄巾党を従えて「黄巾の乱」勃発
・劉備、関羽、張飛、桃園の誓いで義兄弟の契りを交わす
・曹操が騎都尉(きとい)になる
・劉備三兄弟が黄巾討伐の義勇軍に加わる

「桃園の誓い」の桃園は張飛の実家だという話もあります。肉屋で裕福な家庭だったそうです

188   曹操、袁紹、西園八校尉(せいえんはちこうい)になる 西園八校尉はその場限りで作られた新しい官位で、すぐになくなります
187   曹丕誕生 曹丕より年上の曹昂もいます
189 中平
光熹
昭寧
永漢
4月・霊帝死去。少帝(劉弁)即位
8月・何進(霊帝の后の兄で劉弁の母)が宦官に殺され、何進の部下であった袁紹が宦官2000人を誅殺する
同月・呂布が元の主人の丁原を裏切り董卓配下になる
9月・董卓が都であった洛陽を制圧し、少帝を廃して献帝(劉協)を擁立、袁紹、袁術、曹操は董卓から殺害命令が出ていたため洛陽から逃亡
12月・曹操が陳留で挙兵

外戚vs宦官で朝廷の実権を握る争いをしていました。そのため何進は宦官に殺されてしまいます。この争いは根深く、何進の妹の何皇后は宦官寄りだった劉宏の母(皇太后)を暗殺しています

190 初平 1月・袁紹が盟主で反董卓軍ができる
2月・董卓が少帝を殺害、洛陽に火をかけて長安に無理矢理遷都する
・曹操が徐栄に敗れる
・荀攸が董卓に投獄される
 
191   2月・虎牢関の戦い
・荀ケが曹操の軍師になる
・孫堅が廃墟の洛陽に入城、伝国の璽(これを持ってると皇帝の証ですというハンコ)を入手するが、袁術に奪われてしまう
・袁紹・公孫サン対立
・孫堅が劉表軍の黄祖と対戦、 戦死
 
192   4月・王允(おういん)、呂布が董卓を殺害。董卓の一族郎党も処刑される
5月・董卓の配下に王允が殺される。呂布は逃亡する
冬・青州黄巾党が曹操に降る
・曹植誕生
 
193   曹操のお父さんの曹嵩が陶謙の部下に殺され、曹操はその仇を討つと決めて陶謙の土地である徐州で大虐殺をする  
194 興平

・曹操を恐れて死んでしまった陶謙の遺言で劉備が徐州の州牧になる
・袁術配下になった孫策が劉ヨウを撃破
・曹操と夏侯惇が濮陽城で呂布と戦う。その際夏侯惇が矢で左目を失う 濮陽城の戦い

 
195   ・曹操と呂布の小競り合いが続き、呂布が負けて劉備のいる徐州に逃げる 呂布は劉備を「弟」として親しみます
196 建安元年 ・袁術と劉備が戦い、劉備が負けると呂布が徐州を乗っ取る。結果和睦(劉備が格下として)をし、関羽が下ヒ城(カヒジョウ・ヒは丕にβ)に入る
・廃墟の洛陽に献帝が戻る。曹操がこれを迎えに行き、許都に遷都
・呂布が劉備軍の拡大を恐れて追撃、劉備が曹操を頼って逃げる
劉備は逃げ込んだ曹操のところで左将軍に任命されます。そして曹操は劉備と対決するようになっても左将軍のまま官位に名前を残します
197   ・曹操が宛城を攻めるが、張繍(宛城の主人)の画策により襲撃されて長男の曹昂が戦死 宛城の戦い
・曹昂を戦死させたことで曹操は正妻の丁夫人に離婚され、曹丕、曹植の母親の卞(べん)夫人を正妻にする
・袁術が伝国の璽を持っているため皇帝を僭称。全部の武将の怒りを買ってしまう。その後曹操を攻めるが迎撃されて逃亡
劉備は宴会で曹操に「今の時代に英雄となりえるのは自分の他にはおまえだけだ」と言われてビビります
198   ・曹操が張繍を撃破
・呂布&袁術同盟が劉備を攻める。夏侯惇が参戦するが負ける
・曹操が呂布の篭城する下ヒ城を水攻めにして破る。呂布、高順、張遼、陳宮を捕らえて、張遼以外を斬首で処刑。張遼が曹操配下になる
 
199   ・易京で袁紹が篭城をしていた公孫サンを撃破 易京の戦い
・曹操が董承(献帝の正妻の親戚)を暗殺
・袁術が病気で死亡(曹操に怯えて病気になったらしい)
・劉備が曹操を裏切り逃亡&独立
・張繍と賈クが曹操に降り配下になる
・劉備が袁紹と同盟
・孫策と周瑜が橋姉妹と結婚(姉が孫策に、妹が周瑜に嫁ぐ)
一説によると孫策と周瑜は舟遊びをしながらナンパしたらしく、橋姉妹は「あれって孫策と周瑜じゃない?」とか言って喜んだそうな
200 建安5年 ・劉備を曹操が攻める。劉備の妻子が人質になったため、関羽が妻子の命を守るために曹操に降る
・白馬津で曹操と袁紹が交戦。その際に関羽は曹操軍、劉備は袁紹軍にいたので対立。関羽が袁紹軍の二枚看板の武将、顔良と文醜を討つ
・孫策が許貢の部下に襲われて重傷を負い死亡
・白馬津の戦い後、関羽が劉備の元に戻る
・袁紹軍の許攸が曹操に寝返り、烏巣(うそう)の兵糧庫を焼き払わせて袁紹軍を崩し、曹操軍の勝利になる 官渡の戦い
 
201   ・曹操が袁紹軍を撃破
・劉備が曹操から逃れて荊州の劉表のもとに身を寄せる
劉備は劉表のところにのうのうと七年間いて、その間に自分と張飛のダブダブした内腿の贅肉を見て嘆きます。「髀肉の嘆」と呼ばれる逸話です
202   ・袁紹が病死。曹操が袁紹の長男袁譚と三男袁尚(三男が跡を継いでいた)を攻撃
遺言で袁尚が跡を継ぎますが袁譚は気に入らなくて対戦したりしてます
203   ・袁譚、袁尚が曹操に撃破され逃亡
 
204   ・曹丕が袁紹の次男。袁煕(えんき)の妻を強奪して自分の嫁にする 袁煕の妻は甄(しん)氏といって絶世の美女でした
205 建安10年 ・曹操が袁譚を撃破、処刑する
・袁煕、袁尚が烏丸(うがん)に逃亡
 
206   ・曹操が高幹(袁紹の親戚)を撃破、処刑
・周瑜が山越討伐をする
 
207   ・曹操が北征軍を作って烏丸に侵攻。張遼、郭嘉でこれに勝利後、烏丸族のトウ頓(トウトツ・トウの字は足偏に日の下に羽)、烏丸に逃亡していた袁煕と袁尚を処刑  白狼山の戦い
・劉備が諸葛亮を迎える
 
208  

・劉表が病死し、劉備が荊州を出奔、夏口に逃亡。それを曹操軍が追撃、長坂で劉備軍が敗れる 長坂の戦い
・劉備は孫権と同盟するため、諸葛亮を派遣
・劉備・孫権同盟で曹操を討つべく、孫権軍は周瑜の火計を用いて曹操軍を退ける 赤壁の戦い
・劉備・周瑜軍が江陵で曹仁と対峙、周瑜が矢傷を受けて負傷

長坂の戦いは有名かつ派手な見せ場のある戦いです。マンガや小説で読むことをお勧めします

209   孫権の妹の尚香(しょうか)が劉備と政略結婚  
210 建安15年 周瑜が死亡  
211   曹操が涼州の馬超を撃破  潼関の戦い  
212   ・夏侯淵が馬超の残党を撃破
・荀ケが病死。曹操との不和で自殺とも言われている
・劉備が劉璋と開戦
 
213   ・曹操が魏公に任じられる
・曹操の娘3人が献帝の嫁になる
 
214   ・馬超が劉備に降る
・ホウ統戦死。劉備は益州牧になる 綿竹関の戦い
・董承を暗殺された際に書いた伏皇后の曹操批判の書簡が曹操に発覚、伏皇后一族を処刑
 
215 建安20年 孫権が合肥を攻めるが張遼と李典に敗れて危うく死にそうになる 合肥の戦い  
216   曹操が魏王になる  
217   張飛が漢中に攻め込み、曹洪と対峙  
218   反曹操のクーデターが起こるが鎮圧
 
219   ・劉備が夏侯淵を討ち取り、曹操が撤退する  定軍山の戦い
・ハン城で于禁(うきん)が関羽に降伏。ホウ徳は関羽に討たれる
 
220 建安25年 延康元年
黄初
・孫権軍の呂蒙が関羽を撃破、殺害。首を塩漬けにして曹操に送る
・曹操病死。66歳
・曹操の跡を継いだ曹丕が禅譲を受けて魏の皇帝になる
曹操は関羽の亡霊に苦しんで死んだという話もありますが、たぶん脳腫瘍です
ここから以下の年号は蜀・魏・呉で違いますので記載しません
221   ・劉備が蜀の皇帝になる
・呉攻めの際に張飛が部下に殺される
 
222   ・夷陵(いりょう)で劉備軍と呉が戦い、呉の陸遜に敗れて永安に逃げる  夷陵の戦い
・呉と蜀が再度同盟を結ぶ
 
223   ・劉備病死。劉禅が蜀の皇帝になる
・諸葛亮が蜀の丞相になる
 
225   ・諸葛亮が南征を行い、孟獲を撃破  孔明の南征  
226   ・曹丕死去し、 曹叡が即位。 曹叡(曹操の孫)は卑弥呼と交易があったとか
228   ・街亭で馬謖が張コウ(コウの漢字は合にβ)に敗れて撤退 街亭の戦い
・諸葛亮が陳倉を包囲するが攻略できずに撤退 陳倉の戦い
 
229   孫権が皇帝を名乗る(呉の皇帝として)  
234   ・諸葛亮と司馬懿が対戦  五丈原の戦い
・諸葛亮病死
 
249   司馬懿が魏でクーデターを起こして実権を握る  
251   司馬懿が病死  
252   孫権が病死  
265   司馬炎が曹奐に禅譲を迫って晋の皇帝になる