孫権 孫策 孫堅 周瑜 黄蓋
韓当 程普 周泰 甘寧 凌統
呂蒙 魯粛 陸遜 太史慈  

常用漢字のない人物はカタカナ表記です


孫権 仲謀 (そんけん ちゅうぼう)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
呉のボンボン。次男。お父さんの孫堅→お兄さんの孫策→孫権という順で孫呉を築いていきました。
姿形は白人系らしく、目が青かったとか、金髪だったとか色々諸説あるようです。たぶんハンサムです。
19歳でお兄さんを亡くし、孫呉の跡取りになりました。本人はお兄さんが跡取りになると思っていました。
曹操が江南に侵攻してくると聞いた孫呉の皆さんは意見が割れて、お父さんの代からの軍師たちに「曹操には敵わないから投降しちゃいなよ!」と言われていたのにも関わらず、周瑜や魯粛に「ダメダメ!ここで引いたら曹操の思うまま!」と言われ、じゃあ開戦すっか、とばかりに赤壁の戦いに運んだ勇ましいヤツ。
その際に劉備と同盟して、のちに妹を嫁に差し出しました。どうやら劉備と妹は仲良く結婚生活をしていましたが、4年で同盟が切れて破局。妹は孫呉に戻ります。
それから劉備の勢力が強くなって曹操を脅かし始めると、今度は曹操と同盟してしまいます。しかしその後、またもや蜀と同盟。うまいこと時勢に乗ります。
孫権はまあそこそこの人気ですから引かれることはないしろ、あまりお勧めはしません。
諡号 : 大帝
アダナ : 碧眼児
   

 

孫策 伯符 (そんさく はくふ)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★★
孫堅の長男。「伯仲」という言葉がありますが、これは中国でお兄さんには「伯」、弟には「仲」という文字を入れて字をつける習慣があり(日本で言う一郎、二郎みたいなもの)それで孫策は「伯符」という字です。
「小覇王」(漢の始祖『劉邦』と皇帝の座を争った『項羽』を覇王と呼びます。項羽の強さを引き継いでるという意味で小覇王です)と呼ばれた傑物です。周瑜とは幼い頃から兄弟のようにして育ち、親友でもあり、お嫁さんも姉妹でもらいました。
お父さんの孫堅が劉表との戦いで殺され、その跡を継いで孫呉の大将になりました。お父さんが亡くなり勢力は一時小さくなってしまい(主だった将を他勢力に吸収されてしまった)袁術にいいように使われますが、そこを器量で乗り切り、劉ヨウ(ヨウの漢字は手偏のない搖に系)を倒して曲阿の地を手に入れます。
それからお父さんの仇である劉表のところの黄祖を討ちます。が、そろそろ曹操を攻めるぞって時に以前討った許貢の残党に怪我をさせられ(毒矢だったという話もある)それが元になって死んでしまいます。
孫策は大変かっこいい男なんで、好きだと言っても引かれません。が、人気はないです。
諡号 : 長沙桓王
アダナ : 小覇王
   

 

孫堅 文台 (そんけん ぶんだい)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★★
孫権&孫策のパパ。孫権も孫堅も「そんけん」と読むので、ここでは孫パパと呼びます。
お役人だったので黄巾の乱で江東から出張ってきまして、鎮圧軍に入ります。その後、董卓討伐に加わり(袁術の将として。袁術は上司みたいなもの)戦功を上げ、董卓によって焼かれてしまった洛陽に入り、出来る限りの復興をしてから帰還します。
その後、まだ袁術のところにいたので、袁術の要請で劉表討伐に出かけ、黄祖と一戦やらかした際に黄祖軍の矢に射られてお亡くなりに。
この矢さえなければ曹操と劉備と覇を競っていた重要人物だったはず。
孫パパもかっこいいので(孫親子はかっこいい)まあまあお勧めですが、やっぱり呉は人気薄なので微妙なところです。

 

周瑜 公瑾 (しゅうゆ こうきん)
オススメ度 ★★★★★ ハンサム度 ★★★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★★★★
呉の将で軍師的な役割をしていた三国志一のハンサムさん。アダナは「美周郎」。子供の頃から孫家の家臣になって孫策と兄弟同然に育つ。
孫パパが亡くなったあと、一旦孫策と離れて過ごしていますが、孫策が自軍を挙げるとそれについていきます。孫家3代に仕えた士です。孫策が亡くなると孫権を主にし(孫権は若かったので率先して主と崇めたいいヤツ)、その後は孫呉に尽くします。
曹操との赤壁の戦いでは司令官として火計をとって曹操を切り切り舞させました。その準備段階では魯粛が連れてきた劉備の部下、孔明と盟約を交わします。これが後々赤壁の戦いにおいて効いてきました。
それからまた曹操軍と戦いますが、曹操軍の強さは尋常ではなく、苦戦中に流れ矢にあたって怪我をします。それが元になったのか、それとも病気なのかはわかりませんが36歳でお亡くなりに。最後まで病をおして孫権に使え、無理して従軍したりして命を縮めたらしいです。
一説によると孔明の頭の良さに嫉妬して、孔明を暗殺しようとしたとかしないとか。
周瑜は三国志の中でも孔明の次ぐらいに頭が良く、三国志の中でも一番の美男子ですから女性が「周瑜が一番好き〜」と言っても全然引かれないどころか「あたりまえだな」と思われる節があるので安全です。
アダナ : 美周郎
   
   

 

黄蓋 公覆  (こうがい こうふく)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
孫パパの頃からずーっと付き従ってきた一途な人。赤壁のころにはちょっと老人になっていましたが、一番かっこいい役どころをします。曹操に降るふりをして潜入して、そこから突き崩す作戦を担います。その際に周瑜との仲の悪さを演じ、「孫呉でこれだけの罰を受けたから曹操に降らせてくれ」ということにして、全身に拷問の傷をつけて曹操の元に行きます。油断した曹操に火矢を撃って孫呉を優勢にしたことから、「苦肉の計」という言葉が生まれたらしいです。そこまで孫呉のために忠誠を尽くした黄蓋なのです。
微妙にメジャーでマイナーな武将ですからお勧めはできませんがかっこいいオジサマです。

 

韓当 義公 (かんとう ぎこう)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
派手な功績はありませんが、孫家3代に仕えた人。常に孫家と共に主要な戦いに参戦していました。
目下の将にも才能さえあれば仕えるといった感じで、出世欲はなかったようです。
マイナーなのでこの人のことは知らないふりをしましょう。

 

程普 徳謀 (ていふ とくぼう)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
韓当、黄蓋に続く孫家3代に仕えた武将。孫パパが亡くなってから袁術に取られていたのですが、孫策が挙兵する際に孫家に戻りました。周瑜とはイマイチ仲良くなかったらしいのですが(若いヤツが気に入らなかったらしい)周瑜は目上を重んじるタイプなので、後年は周瑜を尊重していたようです。
マイナーではありませんが知名度は高くないので名前だけ知っておくぐらいでいいです。

 

周泰 幼平 (しゅうたい ようへい)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★★
孫策が見つけてきて部下にした人。とにかく強い。孫策を尊敬したいたので、孫策が亡くなった際に「弟を頼む」と言われて、そのまま孫権を主と仰ぎました。孫権の親衛隊みたいな感じで、危機を救ったこともあります。その時の傷のおかげで周泰の部下になりたくないとブーイングしていた人を納得させることが出来たりしてます。
微妙にメジャーでマイナーなので名前だけでOKです。

 

甘寧 興覇 (かんねい こうは)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
孫権のころになってから周瑜の推薦で孫呉に入った人。元不良。いつも鈴をつけていたので「鈴の甘寧」と呼ばれています。元は仇の黄祖のところにいて、凌統のお父さんの凌操を討ったこともありますが、周瑜の推薦だったため、孫権は重鎮に置きます。
曹操軍や劉備軍との戦いでは耐える&猛攻を駆使して余裕な顔をして勝ってしまうほどの強さ。頭も良かったようです。
合肥の戦いでは張遼の急襲に奮戦。自分が殺した凌操の息子の凌統と共に孫権を守りました。
強くてサッパリした性格なのですが、粗暴ですからお勧めしません。
アダナ : 鈴の甘寧
元の職業 : 川賊
   

 

凌統 公積 (りょうとう こうせき)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★
お父さんの凌操が孫策の時に家臣になります。それから孫呉で過ごしていましたが、黄祖との戦いで甘寧にお父さんを殺されてしまいます。孫権に「お父さんの跡を継ぎなさい」と言われて役職を貰います。
仇の甘寧を殺そうとしたりしたこともありますが、合肥では甘寧と共に孫権を助け、死にそうなぐらいの怪我をします。孫権は生きていた凌統を見て泣いたりしてますから、どれだけ大事な部下だったのかがわまります。
とりあえずお勧めはできませんが、孫権を救ったところはいい話です。

 

呂蒙 子明 (りょもう しめい)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★
孫策のころからの重臣。軍師なみの頭の良さと、孫呉の中でも群を抜いた強さを持った武将。
赤壁の戦いでは周瑜の補佐をしながら作戦を練ったり、荊州での関羽討伐で活躍しました。そして見事関羽を討ち取って(殺して)勝ちます。その際に蜀の武将二人を寝返らせたりして頭の良さを発揮しています。
しかし、関羽を討ち取ったわけですから、蜀派の男性や関羽ファンの男性には嫌われているかもしれませんので、呂蒙好きって言う前に相手が関羽ファンかどうかを確かめましょう。

 

魯粛 子敬 (ろしゅく しけい)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★
元々は袁術のところにいて、後から周瑜に気に入られて孫呉に入った参謀な武将。軍師とはちょっと違います。(周瑜・呂蒙・陸遜も武将です)
この人が孫呉と劉備を同盟させた張本人で、孔明の三分の計にちょっぴり感銘を受けて呉に連れて行ったと言われています。縁の下の力持ちといったところです。周瑜の死後は後継者として孫呉を引っ張っていくようになります。
地味な武将ですからほどほどに知っておく程度でいいかもしれません。

 

陸遜 伯言 (りくそん はくげん)
オススメ度 ★★★★ ハンサム度 ★★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★★★★
孫策に討ち取られた陸康の息子で、孫権政権になってから孫呉に入った頭も良くて美男子な人。
呂蒙の配下として関羽討伐では呂蒙と一緒に作戦を成功させて活躍します。夷陵の戦いでは火攻めをして劉備を退けたり、智謀を駆使して呉に貢献しています。後年は孫権と仲が悪くなってしまいますが。
とても評価の高い人ですからまあ安全牌です。
本名 : 陸議
   
   

 

太史慈 子義 (たいしじ しぎ)
オススメ度 ★★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★
元々は劉ヨウのところにいた武将で、劉ヨウにはもったいないほどの強い人。まるで家康の本多忠勝みたいな。(そう言ってもピンと来ないでしょうけど)
劉ヨウとの戦いで孫策と一騎打ちをして、その強さを認められ、劉ヨウが負けて太史慈も孫策に捕まりましたが、強さや義心を知っていた孫策は彼を部下に加えます。孫策からの信頼は厚く、高い地位に納まって武勇をご披露する大活躍が続きます。しかし若くして死んでしまったもったいない武将です。
義に厚いところがいいところなのでよく調べてからなら好きだと言っても大丈夫です。