劉備 関羽 張飛 趙雲 諸葛亮
黄忠 馬超 ホウ統 魏延 姜維
法正 糜竺 徐庶 馬謖  

常用漢字がない人物はカタカナ表記です

 

劉備 玄徳 (りゅうび げんとく)
オススメ度 ★★★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★

貧乏な出自なのに自分を中山靖王劉勝の子孫(自称)だからって「俺は皇帝になるんだ〜」とずーっと思い込んで、実際に蜀漢の皇帝になった人。真面目な人と思われがちですが、実際はオシャレさんでしかも人望に熱い義侠の人です。だけど戦が下手でいろんな武将のところで世話になって流浪ばっかりして、最終的には孔明が偉くしてあげた感じが。それなのに人情に厚いから部下や民衆からは圧倒的な支持を受けていて、三国志の中でも超強い武将を3人も抱えていました。中でも義兄弟(死ぬまで仲良くしましょうという意味の義兄弟)の関羽と張飛は一騎当千の強さです。
黄巾党という宗教団体が乱を起こした時に関羽、張飛と共に義勇軍として参加したのが旗揚げです。その後、董卓が都の天子を奉戴して洛陽で蛮行三昧をしたので、学友の公孫サン(サンの字は王に賛です)の客将になって董卓軍と戦います。その後は袁紹軍に戦ったり助けてもらったり、呂布と仲良くなったり戦ったり、曹操に世話になったり戦ったりしますが、そのほとんどは負けばかり。なのに曹操は劉備を永遠のライバルと認めます。そして劉備を恐れていました。人望と人材のせいです。
劉備が好き、と言っても男子は誰一人引きませんから安牌です。

諡号 : 照烈帝
愛馬の名前:的盧 (てきろ)
通な呼び方 : 大徳

 

関羽 雲長 (かんう うんちょう)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★★特Aクラス
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★★

劉備の義弟その1。赤ら顔と美しいヒゲが特徴のメチャクチャ強い人。ヒゲがあまりにもキレイだったので美髭公(びぜんこう)と呼ばれたりしてました。持っている武器は青龍偃月刀。三国志の中でも関羽の劉備への忠誠心がひときわ強かったため、後世の人々に尊敬されまくり「関帝」と呼ばれて神様になりました。世界中の「関帝廟」は関羽を祀ったものです。関羽も劉備の義弟なだけに義侠の人ですが傲慢なところもあります。
前半は劉備と一緒に流浪してましたが、劉備がちょっとずつ偉くなると地方に派遣されて州を任されます。その際、曹操に攻めてこられて人質になり、曹操の命令で一瞬だけ劉備が身を寄せている袁紹軍と戦ったりします。その功績で人質から解放されて劉備の元に戻ります。曹操は本気で関羽を自分の武将にしたいと思っていましたが、関羽の忠誠心に感心して「関羽を追いかけて殺せ〜」と逸った部下たちに「やめとけ」と言って解放したのでした。
その後は劉備と一緒にいろんなところを放浪します。最終的に魏と呉が同盟した際に戦闘で負けて斬首されます。その首を塩漬けにした呉は曹操に送ります。曹操は関羽をある意味尊敬していたので国葬してあげました。
関羽が好きだと言ってもあまり引かれません。

アダナ : 美髭公
神様としての名前:関帝聖君
   

 

張飛 益徳 (ちょうひ えきとく)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★ 強さ度 ★★★★★
劉備の義弟その2。ヤマアラシのような髭と大きな体躯が特徴のメチャクチャ強い人。武器は蛇矛。乱暴者と言われてます。名乗りを上げる際、「燕人張飛」(えんひとちょうひ)と言うので、相当な強さを誇っていたと思われます。
関羽や劉備に比べるとイマイチ頭が良くないのと、乱暴者だったおかげで、守りを任されていた城を部下の裏切りで呂布に取られてしまったり、部下に乱暴な上、厳しすぎるということで反感を買い暗殺されてしまいます。
しかし敬愛する相手には実直で素直な部分があり、さらに劉備と関羽の義弟なだけに義侠心も厚く、長坂橋の戦いでは橋の上に一騎で立ち塞がり、追っ手の曹操軍から劉備軍と民衆5万人だか何だかを守りました。曹操軍の程cには一騎で万に匹敵する、と言われたそうです。
張飛が好きだと言うとちょっと引かれます。
別名 : 張飛翼徳
名乗り上げ : 燕人張飛
   

 

趙雲 子龍 (ちょううん しりゅう)
オススメ度 ★★★★ ハンサム度 ★★★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★★★
関羽、張飛に続くメチャクチャ強い人。もしかしたら関羽よりも強かったかも。しかも背が高くて超ハンサムだったそうな。さらに頭も良くて義理堅く、仕事も出来る。部下にも優しい。もっと言うと戦では一回も負けたことがない(一度だけありますが、それは負け戦に入りません)。欠点がなかなか見つけられない色男。
最初は劉備と共に公孫サンの元にいましたが、後に劉備と再開。かねてから尊敬していた劉備の部下になります。その後は各所で活躍を繰り返します。長坂での戦いでは、張飛に続いて大活躍をします。逃走する劉備軍からはぐれてしまった劉備の夫人とその赤ん坊・阿斗を救出するため、大軍の中を単騎で駆け抜け(もちろん戦いながら)、夫人と阿斗を救出。阿斗を鎧の胸元に入れ、さらに単騎で大軍をいなしながら逃亡、無事に劉備の元に届けます。その際、劉備は夫人や阿斗を差し置いて「おまえが無事で何よりだ」と泣いたそうです。そのぐらい劉備には信頼されていました。
定軍山の戦いでは曹操軍に逼迫させられた黄忠を救い出し、計略を駆使して撤退。曹操を震撼させた。度胸の塊と劉備に褒められています。
趙雲が好きと言うと引かれはしませんが、日本での知名度が低いのでマニア以外には通じません。

 

諸葛亮 孔明 (しょかつりょう こうめい)
オススメ度 ★★★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★
偉い人度 ★★★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★★

言わずと知れた古の名軍師。「諸葛孔明」と言えば誰でも知ってる名前です。かなりの大男ですが頭もかなり良いです。伏龍、臥龍(ふくりゅう・がりょう、眠っている龍という意味です)と呼ばれていたころの話は色々と諸説ありますが、とりあえず荊州で勉強&農耕をしていた際に劉備が「俺の軍師になってくれ」と頼みに3度訪れます。3度目でようやく会え(三顧の礼と言います)軍師になることを承諾します。それが「水魚の交わり」(魚が水を得たような組み合わせ)ということわざの起源です。
その後、孔明は「天下は今、劉備、曹操、孫権で争ってるんだから三つに割っちゃいなよ。そんで今持ってる領土を国って言っちゃえばいいじゃん。あんたはそこの皇帝になりゃいいんだからさ!それから他の奴らの領土を争って奪えばいいんだよ!」というような案を出します。これが「天下三分の計」というやつです。普通の人が言うと変な計画ですが、孔明が言えばそれなりの効力があったのです。
それから劉備が孫権と同盟して曹操を倒そうとします。その戦いが赤壁の戦いと言いまして、呉の軍師・周瑜ががんばって曹操を退けました。孔明はイマイチ活躍していませんが、まあ色々やってたようです。(赤壁の戦いの記述が正史では少なすぎて何があったかハッキリしてません)
劉備が死ぬ時、孔明に「おまえに後のことを頼んだぞ。もし俺の息子じゃ天下取りは無理だと思ったらおまえが皇帝になっちまえ」と言われますが、孔明は最後まで劉備の息子の劉禅の補佐をします。
劉備が生きていたころも、その後も蜀のために尽くした天才軍師です。
孔明が好きだと言うのが一番無難ですが面白みはありません。

アダナ : 臥龍
   
   

 

黄忠 漢升  (こうちゅう かんしょう)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★
蜀の老将で弓の名手です。荊州にいましたが、曹操に荊州を奪われて別のところへ。その後、劉備が荊州を曹操から奪って劉備配下になりました。
猛将っぷりを発揮して劉備軍で大出世。漢中の定軍山の戦いでは法正の指示を受けて背後から曹操軍の将・夏侯淵を撃破。ここでもその勇猛ぶりを発揮しました。夏侯淵といえば相当強い武将です。
黄忠が好きだと言うとたぶん引かれます。

 

馬超 孟起 (ばちょう もうき)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★★★
偉い人度 ★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★★
涼州の馬騰の息子。曹操軍と潼関で対峙した時はもうちょっとで曹操を討ち取れるところまでいった若き猛将。この時17歳だったとか。常に錦の派手な衣装だったからとか、メチャクチャ強かったからとか、諸説ありますが「錦馬超」(きんばちょう)と呼ばれてます。
曹操との攻防を繰り返していましたが、曹操には敵わないよ〜と寝返った韓遂のせいで不利に。大負けした馬超はとりあえず逃げます。負けたお父さんと一族郎党が曹操に殺され「俺は絶対に曹操には降伏しねえ!」となります。その後も曹操軍と何度か戦いますがいかんせん戦力が違いますから負けてしまいます。で、こりゃもうどうしていいかわかんねえよ、となった時に劉備の元へ行ってみると大歓迎されます。劉備はかねがね聞いていた馬超の名声に喜び、「ウチに馬超が来たぜ!」と宣伝することで戦うこともなく 劉璋をビビらせて益州を頂いてしまいました。
馬超が好きだと言うときは「曹操に屈しなかった意地がいい」と言うといいかも。
アダナ : 錦馬超
   
   

 

ホウ統 士元 (ほうとう しげん)
オススメ度 ★★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★
常用漢字に字がないのでカタカナですが广(まだれ)に龍を入れてホウです。
孔明と並び称される天才軍師。孔明が伏龍ならホウ統は鳳雛(鳳凰のヒナ)と呼ばれるほど。周瑜の元にいましたが、周瑜が病死してから荊州を取った劉備の元へ。孔明の薦めで高い官職につきます。これで伏龍と鳳雛が揃ったと劉備は大喜びです。
赤壁での戦いで周瑜の火計を成功させた裏側に、ホウ統が曹操軍に潜入して「船を鎖で繋げちゃいなよ」という策を言って、火が回った船団から曹操が逃げ出せないようにした、という話がありますが本当かどうかはわかりません。
ホウ統はあまり活躍していないので好きって言うと引かれます。
アダナ : 鳳雛(ほうすう)
   
   

 

魏延 文長 (ぎえん ぶんちょう)
オススメ度 ★ ハンサム度 ★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★ 頭の良さ度 ★★★ 強さ度 ★★★★

劉備に可愛がられていた強くて統率力がある武将。しかし孔明には「反骨の相がある」と言ってあまり好かれていませんでした。荊州の韓玄の元にいたころ、黄忠が裏切りを疑われ処刑されそうになった時、韓玄に謀反を起こして黄忠を救ったのを裏切り(反骨)だということです。それでも才能は認められていたので高官ではありました。
活躍はしたのですが、北伐をすると言い張った時に「命令に従わなければ殺してしまえ」との孔明の遺言に従った部下たちに殺されてしまいました。
魏延が好きだと言うとドン引きされます。

 

姜維 伯約 (きょうい はくやく)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★
元々は魏にいたのですが、孔明の策略にはまって裏切り者になってしまいます。仕方なく蜀に降りましたが、自分の才能が孔明の下でなら使えると思って蜀で活躍するようになります。
孔明の後継者として内政に優れていましたが、無茶な進軍も多く蜀を衰退させた本人でもあります。
評価は微妙なところなので好きだと言わない方がいいでしょう。
アダナ : 麒麟児
   
   

 

法正  孝直  (ほうせい こうちょく)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★★
劉璋の元にいましたが、 劉璋が劉備に降伏してから劉備の元で軍師として活躍しました。
非常に頭のいい人で、いくつもの策を出し、縦横無尽にそれを変化させて献策するので劉備に重用されています。定軍山で劉備が勝てたのは彼のおかげです。病死してしまった際に「法正がいたらな〜」と孔明にまで思わせるほど頼りになった軍師です。
劉備から諡号(翼侯)を送られた唯一の人。
目立った活躍をしていますが好きだと言っても誰も理解してくれないかもしれません。

 

糜竺 子仲 (びじく しちゅう)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★★
劉備が陶謙のところにいた時、陶謙が病死した際、「劉備に徐州を任せちゃおうぜ!」と言って州牧にさせてしまった人。お金持ちだったので劉備がお金に困ると財産をあげてしまったり、妹を嫁にあげたりしてました。(妹の糜夫人は長坂の戦いで死亡)頭のいい人だったせいで曹操から欲しがられてましたが、劉備に惚れこんでいたので無視。
弟の糜芳が関羽にきつく当たられていたのを恨んで曹操軍に寝返ったせいで関羽が死んでしまい、激怒した糜竺は弟の不忠は私の不忠とばかりに自分に処罰を望みましたが劉備は処罰しませんでした。だけど怒りは収まらず憤死。
知名度が低いですがとっても劉備に尽くした人なので好きだと言う時はその辺を主張しましょう。

 

徐庶 元直 (じょしょ げんちょく)
オススメ度 ★★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★★
偉い人度 ★★ 頭の良さ度 ★★★★★ 強さ度 ★★
微妙に別れるところですが、個人的に徐庶を魏の人に分類したくないので蜀で。
諸葛亮と同門でマブダチ。荊州の劉表のところにいた徐庶が劉備に「諸葛亮って頭のいいやつがいるんだけど」と言って孔明に会わせました。その後劉表が死んで劉備の配下になります。が。劉備が曹操に負けた戦で徐庶のお母さんが人質になり、仕方なく劉備軍を出て曹操の下へいきます。(それだけ有能だった証拠です)
曹操を憎んでいたので献策はしないわ、赤壁でホウ統の策略に気付いてたのに見逃すわで、面白いことやってくれました。出世はしてたようなので内政がうまかったのかもしれません。
好きだと言えるほど活躍もないので言わない方がいいです。
改名前 : 単福
   
   

 

馬謖 幼常 (ばしょく ようじょう)
オススメ度 ★ ハンサム度 ★★★ 漢前度 ★★
偉い人度 ★★★ 頭の良さ度 ★★★★ 強さ度 ★★
街亭で大敗した大バカ者。馬良の弟。(故事成語の「白眉」は頭のいい人の意味で、馬良の眉毛に白髪があったのでそうなりました)
街亭では山の上に陣を構えてはいけないよ、と孔明に言われたにも関わらず、いい気になって山頂に布陣。おかげで曹操軍の張コウに水路を断たれて孤立。食料がなくなって負けを覚悟で討って出たら惨敗。劉備に「あいつは口先男だから重用すんなよ」と言われていたのに使ってしまった孔明は泣きながら馬謖を処刑しました。これが「泣いて馬謖を斬る」という故事成語です。
頭のいい家系に生まれて定評があった割りに最後はダメダメだったので好きと言うのはやめましょう。